1995年3月、某工場に入社しました。男性1人、女性2人のその工場の2期研修生がいました。半年間の研修です。当時は今とは違い、日本に研修に来るということは「選ばれた人」であり、大変名誉なことでありました。当時はまだ中国は貧しいというイメージがなくはありませんでしたが、彼女たちは裕福な層でした。
会社敷地内に寮があり、彼女たちはそこで自炊をして生活していました。約2か月後、3人は帰国、そして第3期生の4人(男性1人、女性3人)が来ました。成田へ迎えに行き、そのまま東京の工場と地方の工場に別れ、4人の新しい生活が始まりました。
私は台湾で生活の経験があり、生活上のトラブルは基本的に一人で交渉して対処してきました。いくら二つの中国(中国の共産主義と台湾の資本主義)が違うと言ってもある程度は大丈夫だろうと高を括っていたら、とんでもなかったです。
言っていることは分かるけれど、なぜそういうことを言うのか理解できませんでした。それは半年後、彼女たちの帰国に同行した際、中国に行って分かりました。それは生活と言葉の背景知識がなかったからです。だから、訳せなくて、たとえ言葉に訳しても不自然で意味不明だったのです。
それから、男の子も料理が上手にできるということには驚きました。台湾もそうでしたが、男性の家事能力はすばらしいです。これもまた追々書いていきたいと思います。