台北駅近くの日本語が話せる眼科の名医

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1987年はまだネットはありません。連絡は電話、エアメールという時代でした。

台湾の生活にあたっての情報収集は駐在員向けの本のみでした。病院情報はそこから入手しました。

最初はもちろん日本語が通じる病院に行きます。日本語が通じるというだけで言葉の問題だけではなく、技術も信頼がおける気がしたからです。

その本に載っていた眼科は台北駅の比較的近くにありました。当時の台北駅近くは戦前の奥行きのない一棟の2階建てのこじんまりした建物が道沿いに連なっており、確か1、2階とも主にお土産屋さんが入っていたような記憶があります。

医師は年配の方で日本語教育を受けた方であることはすぐ分かります。日本語が完璧です。日本語が話せることを抜きにしても、その医師をひと目見れば、技術力の高さを感じ取ることができ、安心感でいっぱいでした。

日本人の間では、台北駅の近くに”眼科の名医”がいると有名でした。

 

~参考~

●戦前、台湾の方は旧制中学に入るにしても台湾人の枠というものがあり、その枠は大変狭く、どんなに優秀でも日本人でないが故にトップの学校に入れない人もいました。戦前に医学部に入ったということは本当に優秀な学力の持ち主です。


●戦前、日本語教育を受けた台湾の方の日本語は完璧で完全に日本に住む日本人より、きれいな日本語を話します。

●目の調子が悪くて、総合病院の急診科に行ったことがあります。そのときに言われたのが確か「時間外だから・・・」。そのあと、台北駅近くのこの眼科医に1時間かけて行きました。

●健康診断を受けたことがありますが、いい加減で驚きました。健康診断の意味は全くなかったです。