国が違えば、当然考え方も違います。
私が大学生になったのはバブル前ですが、出世には学歴が必要ということで、親が子に進学をさせていた時代かもしれません。家庭の事情で大学進学を断念して高校を選ぶ優秀な人もたくさんいました。当時は奨学金で進学する人は少なかったと思います。加えて地方ですと、たったのわずかな年齢の差で就職先が全くなくなるので、そういうことも考えて高校を選択する人も数多くいました。
台湾の大学で、入学当初に皆が言っていたことは「親に申し訳ない」という言葉でした。学費(当時私立は年間約20万)、それから地方出身者ですと生活費がかかるわけですから、そういう言葉が自然に出たと思います。当時の台湾は大卒の初任給が10万円の時代です。学生通しのシェアハウスでも一部屋の価格は高かった記憶があります。
(ちなみにですが、当時10万円あれば、プール付きの家(マンション)を借りることができた時代です。バブル前の台湾の物価はまだそれほど高くなく、台湾からの海外旅行は安いので、駐在員の方で利用されていた方もいました)
台湾は当時、10万人の受験生の中で大学合格できるのは3万人、しかも専攻は自分で選ぶことができず、点数によって振り分けられてしまう制度でした。私は史学を専攻しましたが、当然のごとく史学を希望して入ってくる人はいません。しかもほぼ全員浪人生でした。就職も厳しかったと思います。女子が将来なりたい職業と言えば、教員でした。教員が一番安定していた職業だったからではないかと思います。(男子は兵役が課せらていました)
勉強量に関して言えば、”日本は比較の対象ではない”というのが私の印象でした。日本の中高で勉強する量を中学で一通りやっているように思いました。学生は朝から晩まで勉強、授業は夕方までで学校が終われば塾、朝は授業の前にテスト、休みの日は図書館で一日中勉強という光景は当たり前でした。それでも勉強量は足りないと小学校の教員をしている方がおっしゃっていました。
正直、この光景をみて、日本が負けるのは時間の問題だと思いました。本当に勉強量が全然違うからです。大学でハンカチ落としをやって喜んでいる姿を見たとき、「遊ぶ」ことを小さい頃からせず、勉強ばかりしていたからだと思いました。部活というものもありませんし、ただ将来の生活のために、いい大学に入って出世するというのが多くの人の目標であったかもしれません。
貧富の格差が大きかったです。多くの人は上記の勉強の仕方をしていたと思いますが、富裕層となりますと、その教育方法は全く違います。富裕層ならばですが、国の不安定さと兵役をさせないために考えることは違います。それは次回に触れてみたいと思います。