若者が海外に出て、自分と日本を見る大切さ
今でこそ、日本は外国人が増え、電車、各施設の説明は外国語でも案内がされています。 高校時代、「これからは国際化社会」と言われていました。頭の中では何となく感じることができても実際は現実味がないので、一部の人を除いてはそ...
今でこそ、日本は外国人が増え、電車、各施設の説明は外国語でも案内がされています。 高校時代、「これからは国際化社会」と言われていました。頭の中では何となく感じることができても実際は現実味がないので、一部の人を除いてはそ...
台湾に行ってから思ったことは、日本人は目に見えない決められたレールの上を歩んでいる、いや歩まされているということです。そして、このレールから一旦外れると先が見えなくなってしまうのは事実です。 語学学校にはいろいろな国の...
昨日話した駐在員奥様の帰国後の話です。 子供さんの高校受験のため、子供さん二人を連れて帰国しました。その方と私の家は車で10分ほどです。私も一時帰国の際、連絡を取りお会いしました。 彼女から学んだことは実に様々です。今日...
台湾へ行ってから半年余りのことです。今思えば、早い段階でこの視点を知りえた私は恵まれていたと思います。このときから自然と語学+αは必須でした。 私は台湾滞在中、同世代の人との接点は全くなく、これは帰国後も大きな悩みの種で...
1987年3月下旬、台湾へ行きました。家の引き渡しまで、お世話になるご夫婦の家の一室をお借りして台湾での生活が始まりました。 さて、当時(1987~1992)の台湾での生活で、私にとって勉強になったことは大学の勉強より...
1987年 3月初め、両親と台湾へ行きました。 空港に着いたとき、独特のにおいがありました。現地の人はバス、タクシー、オートバイを使い移動し、オートバイは2、3人乗りは当たり前、そしてセブンイレブンは至る所にあり、活気に...
台湾に行く前、父の同級生で若い時に海外青年協力隊に参加したことがある方にお会いしました。 その方が台湾に行く私に次の言葉を贈って下さいました。 「自分に残るものは生活したこと、 経験したこ...
帰国後の悩み 台湾からの帰国後の一番の壁は何と言っても浦島太郎になっていたことでした。(一時帰国はしていました) さらに「日本語で自分が言いたいことが言えない」というウソみたいな現実にぶつかっていました。 日本の社会に...