1987~1992年の台湾

rejinaajes / Pixabay

1987年3月下旬、台湾へ行きました。家の引き渡しまで、お世話になるご夫婦の家の一室をお借りして台湾での生活が始まりました。

 さて、当時(1987~1992)の台湾での生活で、私にとって勉強になったことは大学の勉強よりも生活や日本との歴史から得たことがほとんどです。

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・戦争経験者、日本植民地時代の教育を受けた人が50代、60代でした。完璧な日本語を話します。(人によってですが)聞き惚れる美しい日本語を話します。思わず「日本語を教えて下さい」と言いたくなる美しい日本語でした。

・スーパーはまだできたばかりで、買い物は市場でするひとがほとんど

・へび、カエル料理

・おいしいケーキを売っているお店は1件だけ

・デパートの様子

・SOGOが開店

・蒋経国が亡くなった

・台北はほぼマンション・アパート。家の造りは二重扉、鉄格子、かぎだらけ

・言葉は国語(北京語)、台湾語、そして英語と日本語が飛び交っている

・自分の考えはきちんと伝える。そのことで人間関係が壊れることはない

・日傘はなく、雨傘が日傘代わり

・空気の汚れが目に見える。そのせいかどんよりしている。日本にいるより日焼けはしない。

・衛生面、トイレについて

・教育制度、受験地獄、人気のある職業、兵役、海外留学。

・シェアハウス、学生寮、学食

・お金の使い方、長期休みの過ごし方

・上流家庭の教育方針、生活

・台湾人の本音、歴史教育、日本人に対する感情

・社会人の夜は語学勉強

・日本人学校、アメリカンスクール

・駐在員研究

・3度の引っ越し、それぞれの大家さんから学んだこと

・日本にいたら出会えなかった人・・・製薬会社重役のお嬢さんの日本語家庭教師、

 日本の大手銀行の現地社長、製薬会社現地社長との話

・夏休みに頼まれた子供の日本語教師、その子の夏休み

・富裕層の子供への語学教育、語学の大切さ、必要性をどのように教えるか

・医療機関、急診時の対応、爪は麻酔なしでとる、日本語が話せる眼科の名医

・当時の台北駅・・・戦前の面影

・バスの突然の路線変更、バスとバスが並行で走り、ドアを開けて大声で話している。

・台湾タイム(遅刻はOK)

・ツアー客が利用するレストラン

・怖い話・・・スリ、エレベーター内、タクシー

・道路を渡れない、信号無視

・日本語教師 

・日本人であるが故に味わうこと。        

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まだまだいろいろあります。

時代の変化と発展がとても速いので、当時とは現代では平成と明治(江戸時代)と同じくらいの差があるかもしれませんが、高度成長の前の台湾の様子に少しでも触れておけば、たとえわずかであっても、現地の人を理解する手助けになるかもしれません。

また当時のことは書籍に載っていることがあまりないので、個人的に感じたことですが、残すことができればと思います。

 

 

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