発音について思うこと

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発音矯正していると「今まで一体なんだったのだろう」という思いが毎回出てきます。

「你好」「 谢谢」しか知らず、台湾の国語日報でいきなりグループで直接法で中国語を習いましたが、よく分からないので師範大学では最初からやり直しましたし、大学受験時は個人レッスンも加えて学びました。しかし、そのとき全く指摘されなかったことが、今になって先生のレッスンで指摘されます。個人レッスン時はいつも「厳しく指摘してください」と伝えていたにも関わらず、指摘は敢えてされなかったので、とても悲しい気分になります。発音の本も著者が違う本を読んで研究しましたが、結果的には自分がやってきたことと真逆だったことの方が多く、正直へこんでいます。

「ふぅ~」とため息がついてしまいますが、生活がかかっていますし、医療で通じない中国語では意味がありません。ここは地道にやっていくしかないです。

ただ、私がラッキーだったのは常に疑問を感じて動いていたからです。恵まれた環境で学んでも私と同じような人もいましたし、通訳学校でも自分では全く気付かない人、指摘されても全く気付かない人も多くいました。

勉強だけでなく、日常生活で起こる何事もそうですが、誰に指導やアドバイスを受けるかで結果は全く変わってきます。

一例を挙げますと、中国語を学び始めたとき、中国語に「敬語」「男性の言葉、女性の言葉」があるかネイティブに常に聞き込んでいました。誰もが「(敬語、男女の区別も)ないよ」という返事しか返ってこなかったものの、私自身納得できないものが常にありました。(素直ではない!?)

それが社会人になってから、運よく杭州へ半年間語学留学をさせていただく機会を得たとき、現地で日中友好協会の県レベルの通訳者の上司と話す機会がありました。そのときにその方が真っ先におっしゃったのが「きれいな上品な言葉を使えるようにしなさい」ということでした。「ほら!やっぱりあるじゃない!」と疑問を持ち始めてから10年後に、この長年謎に思っていたことが解決できました。

このことを知っているのと知らないのでは、やはりいざというとき違います!

良い方に出会って、良いアドバイスを受けられるようにするには、最終的にはすべて「自分」にかかっています。現在、へこみながらも、きちんと指導を受けられる私は運がいいと思います。学び直しの道があるわけですから。

最終的には何事も全て自分自身が引き寄せているものです。気を引き締めます。




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