当時の台湾

Fuzz / Pixabay




技能実習制度において、中国人研修生の生活指導をするにあたり、一番役立ったのは台湾での一人暮らしでした。

一人暮らしというのは結局は何もかも自分でやらなければなりません。つまり、家を探す、交渉をする、修理の依頼・・・。すべて自分で探し、自分で手配をしなければなりません。このときの一つ一つのことが本当に役立ちました。おそらく至れり尽くせりの学校の寮生活だったら、お手上げで中国人相手に何もできなかったと思います。

それは社会人になってから、某県で社会人を対象にした姉妹都市の杭州へ半年間語学留学をさせていただいときに痛感しました。浙江省の浙江大学の外国人寮でしたが、ある意味最初から何もかも準備されていて揃っていました。現地に着けば、部屋に入り、荷物を整理するだけ。食堂、その他・・・は担当者から説明があり、本当に至れり尽くせりでした。(世間では、これが当たり前かもしれませんが) 実際、半年間、台湾で味わったことは何一つ味わいませんでした。すでにこのとき、合弁会社の中国人の生活指導をした後の留学でしたが、正直このような留学生活では仕事では役に立たないと思いました。

台湾では確かに父の知人はいましたが、何もかも甘えるわけにはいきません。結局は自分ですべてをやらなければなりません。日本のことも知らないのに、いきなり海外で日常生活の対応を自分一人でするということは、今思えばよくできたと思います。高校卒業後から社会人として働くにしろ、大学進学にするにしろ、世界は広がります。社会の仕組みも分かってきますし、使う日本語の語彙数も増えます。壁にぶつかっても周りをみればその対処法が自然に分かります。その下地が全くなく、いきなり対処をしなくてはならない立場になったことは本当にきつかったです。社会の仕組みも言葉も知らない子供がよくやってこれたと我ながら感心してしまいます。

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さて、当時の日本人が抱く、台湾のイメージとはどういうものだったのでしょうか・・・。

台湾に土を始めて踏んだのは1987年3月。

「国際化社会」という言葉が日本で使われ始められた頃です。まだこの時代、女性も仕事は結婚まで、もしくは子供ができるまでといった時代でした。ということもあり、地方では進学すると逆に就職は不利だったのも事実です。実際、当時高校の非常勤講師をされていた先生は、東京でしたら、引く手あまたで就職に困ることはなかったのですが、地方でしたので就職口は全くありませんでした。

東南アジアに対してのイメージは、私はクラスメートに「売られていくのか~」なんて言われましたから、そういうイメージです。また発展途上国で何もそろっていないというイメージもありました。

また戦争を経験した人も植民地時代の日本の教育を受けた人もまだ若い世代でした。台湾は親日派と言いますが、私は一人暮らしをしたからこそ、また現地の大学に進学したこそ、何か違うものを常に感じていました。精神的には大変きつかったですが、このような経験があったからこそ、中国人研修生の生活指導ができたと思います。しかし、味わうことがなければ、それに越したことはないと今でも思うことがあります。

次回は当時の台湾の人々の日常生活に触れていきたいと思います。

 




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