当時の様子

prometeus_86 / Pixabay




1987年から92年までの台湾の当時の様子をご紹介します。15年ほど前に行ったきりですが、その当時でさえ、私が生活していた面影はほとんど残っていなかったので、おそらく現在は完全に別国になっていると思います。

・スーパーは「雅客」というお店が1店舗あっただけ、「スーパー」次第がまだなかった時代でした。買い物は市場でします。生きたカエル、鶏、また屠畜した鶏が吊るしあげられ、豚もまっぶたつになって、そのままの姿で売られていました。

・日本でいう「ケーキ」もまだ存在せず。唯一、日本でいうケーキが販売していたのは1店舗だけでした。

・移動はオートバイ(時には子供も乗り2~4人乗りは当たり前)、バス、タクシー。自家用車を持っている人も多かったです。タクシーは運転手の安全を守るため、運転手の座席の後ろはガードされていました。バスは正直汚かったです。バスで飲み食いするのは当たり前。並んで乗ることができることは有り得ないことなので、バスがくれば一斉に割り込み乗車をします。ルートも途中変更してしまうことがあるので、居眠りはしないのが一番。人が少なくて回り道があると「○○で降りる人はいるか?」と聞いていなければ、そのルートは省略。日本では考えられないけど、効率的と言ったら効率的。あとバスの運転手同士が並んで運転して(前のドアを開けて)大声で話していたのも印象的でした。日本ではあり得ないことだけに驚きもしましたが、面白かったです。

・デパートもイマイチでした。サービスはもちろんよくありません。店員が陰に隠れて飲食をしているのは普通でした。台湾に行った年にSOGOがオープン。

・確か語学学校か?、健康診断表を提出しなければならず、検査を受けに行ったけれど、その検査はいい加減で、検査とはとても言い難いものでした。

・交通ルールはあってないようなもの。信号無視は当たり前。最初、道路を渡るのは本当に怖かったです。

・トイレも清潔ではなかったので、きれいな所を押さえておく必要がありました。(手を洗う習慣は人によってですが、ない人もいました)

・外食も清潔なところは一定レベル以上のところ。屋台などは味はおいしいけれど衛生上よくなく、勇気がいる店も多かったです。箸は拭いてから使用。髪の毛が入っているのを指摘すると、機嫌悪い顔で、取り除かれて返されます。麺も汁に指が突っ込まれて運ばれてきました。

・どろぼうが多い。窓に鉄格子、ドアは二重ドア。家に入るまで30分以上かかることもあり。鍵を忘れて鍵屋に来てもらうと、開けるまで30秒あれば十分。恐ろし~!

・寒暖差がとにかくひどかったです。今、日本でも寒暖差に注意が必要になってきましたが、このレベルではありませんでした。昨日は真夏日、今日はセーターが必要ということもよくありました。体が気候についていけない日々でした。

・1988年に蒋介石の息子、蔣経国が亡くなりました。

上記のことがすぐに思い返されます。確かに「ん~」と思うこともありますが、経済発展中で日本も通った道。そこを味わえた経験は大変貴重でした。15年ほど前に行ったときは、交通ルールは守られていて、誰も無視はしない、街も清潔、店も清潔、驚きでした。でもつまらなかった!(笑)台北駅周辺は当時の面影は全てなくなり寂しかったです。私がいたときは、確か日本人が建てた2階の建物が道に沿ってあり、その雰囲気もなかなか味がありました。また、バスも清潔になり、テレビもあり、完全に日本は後れをとっていました。地下鉄も完成、電車で移動できるし、わずか10年でここまで変わるすごさ、恐ろしさがありました。大学生も車で通学、驚きました。

不便で不潔なところに文句を言いつつ、それがなくなっていると、つまらないし寂しいです。人間って勝手ですネ(笑)

 




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