教育

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中学生の2人姉妹に日本語を教えたことがあります。当時の中学生の生活について書きたいと思います。このような忙しい生活でも、将来の子供のために早い段階で日本語を勉強をさせようとする親がいました。短期間教えただけですので、その後は分かりませんが、私自身大変勉強になりました。

確か朝8時頃から17時(18時?)まで授業が毎日ありました。1時限目が始める前に毎日テスト、授業が終わると塾(~21時or22時?)、家に帰って勉強、これが普通です。勉強量も半端ではなく、ザっと見て日本の中高生が勉強する、しかも高校の選択科目を含めての勉強量を中学で一通りやっているように見受けられました。夏休みの図書館の自習室は席の取り合いで、一日中勉強していました。

中学の一学年が20~30クラス、1クラス50人ほどと聞きました。普通科の高校に進学できるのは私立を含めてその3割、公立に行けない人が私立に行くという高校の序列がありました。そして大学は受験者の3割しか合格できません。トップの台湾大学は東大より難関だということ。日本でいうセンター試験を受け、その点数で大学と学科を振り分けられるので、ここで一生が決まるようなものです。ですから、小さい時から猛勉強しなくては将来はありません。

勉強はとにかく暗記教育でした。「背、背、背!」、この言葉かしか聞こえてきませんでした。そのせいか豊臣秀吉が朝鮮半島を攻めた年の年号はすぐ言えるのですが(日本の歴史、侵略については徹底的に教えられているようでした。すぐにその年号を言われたときは考えさせられました)、日本の中学で習う「統計表」から何が読み取れるか等の問いには答えられず、国の教育方針によって、全く違ってくることを教えられました。

高校生になると、分厚い5センチはある英語の書物を教科書にしている学校もありました。翻訳が追い付いていなかったせいもあるかもしれませんが、大学生になると、どの学科でも英語の書物を教科書にしていました。私が専攻した史学も半分は英語でした。「習うより慣れろ」です。高校に入ってから勉強は全くしなかったので、完全な中学英語ですが、毎日のように英語を見ていると(単語、構文が分からないので内容が分からないことは別にして)、読むこと、英語から情報を取ることが苦にならなくなります。これをやっている学生は英語から自然と情報を取れるようになるはずです。

中国本土の技能実習生が日本の子供を見て「圧力小。」と言っていました。幼稚園児にしても伸び伸びと(ここでは勉強をしていないことを指します)していることをボロっと言っていました。

海外に出たからこそ分かる教育の違いでした。そのせいか教育にも興味がありまして、海外に行くと歴史資料館等に行きます。香港で日本が統治していたときの小学校の卒業試験を見ましたが、難しかったです。論文形式で、ある一つの問いは栄養学、家庭科、理科、その他・・・の知識がなければ答えられない総合力、応用力が求められ、それをまとめて書くのですから、本当に難しいと思います。

戦後の日本は戦争に巻き込まれず勉強ができ、進路も自分で選ぶことができます。日本は世界から見ても本当に恵まれた国だと思います。