言葉の難しさ

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登録販売者として仕事をしていると、つくづく「言葉」の難しさについて考えさせられます。

その人が発する言葉のその背景には、その人の育った地域、家庭環境、受けた教育、経済状況等がすべて含まれます。またその人の意識力や注意力もその人の質問力や答えに関係してきます。

ですから、同じ母語で話していても難しいと思うことばかりです。お客様自身がよく分かっていないことを相手に伝えなければならないことも多く(この先を代わりに察しなければなりません。ある意味、日本語の特徴でもありますが・・・)、当然自分が伝えたいことを相手にきちんと伝えられないこともあります。高齢者の方ですと耳が遠くて相手の声が聞き取りづらかったり、また伝えたばかりのことを聞いた途端すぐに忘れてしまい何回も聞き直す方など様々です。

言葉を仕事にしてきたからでしょうか・・・。この場面で日本語が堪能な外国人が対応してもスムーズにいかないのではないかと思うことが多くなりました。相手が外国人であれば、確認して聞いたことに対しては「分かっていない」とか「通じない」という声になり、クレームになるのではと思うようになりました。実際、仕事で中国人に電話を渡されたとき、相手の話し方を聞いたとき(人柄が分かるので)、少しでも不慣れでたどたどしい日本語を話すと罵倒して、「日本人に代われ!」という人もいるので、言葉は本当に難しいと思います。またある講演会で中国人が話していた時、私自身はここまで話せれば見事だなと思っても、他の人からみれば、「日本語に問題あるのでは?」という評価になることがあります。台湾にいたときも、現地の人と同じレベルで話せて初めて「まあまあ」レベルなのです。そうでなければ、「下手」「何を言っているか分からない」ということになります。実際、現場でのやりとりは日本人同士だから、何とかできるのだなと思います。同じ国で同じ教育システムを受けた者同士だから、年代は違ってもある程度は言葉に出さずとも、ちょっとした言葉でも伝えたいことや言いたいことは察しでき、そこからつなげることができます。これは日本人同士だから成り立っていると思います。

これが医療通訳でしたら、当たり前ですが成り立ちません。問いと違う答えを言う患者さん、聞かれてもいないことを永遠と話し続ける患者さん、中国人だからといって、中国語がきちんと話せるわけではなく、なまり、くせ以前の母語力の問題もあります。しかし、通訳依頼者側からすれば、これは全て「通じていない」ということになります。

10月から仕事はドラックストア1つに絞りましたが、ドラックストアでの現場経験が増えるにつれ、医療通訳から離れてよかったと思っています。日本人同士でさえ、対面であっても難しく感じることがたくさんあるので、これが特に顔が見えない電話医療通訳だとその怖さを改めて感じます。特に高齢の方と接した後はその思いは強くなります。

中国語を学んでいる方は認識していると思いますが、あれだけ広い国の人間の言葉を理解することは容易ではありません。言葉の問題というより、言葉の背景にあるものを一通り学ぶことも膨大な量で簡単ではありません。教育、環境、経済・・・すべてが絡み合って「言葉」として一人の人間から出てくるのですから、とても難しいです。(日本人同士でもそうですよね・・・)

同じ場面で同じ言葉で説明しても、通じる人もいれば、何回説明しても通じない人もいます。もちろん、自分の語学力に問題があったのではと落ち込むこともありましたが、これは両者がいた背景にもよるものもあります。現在、通訳という仕事から離れて、通訳の仕事(中国人研修生)をしていた時に学んだことの一つ一つが思い出されます。渦中?にいると見えなくなるものですネ。常に一歩離れて自分を見つめ直すことが大切です。

日本人同士でも、同じ事を同じ言葉で伝えても通じる相手と通じない相手があります。これはテレビのニュース、何気ない会話でもよくあることです。ですから、それを訳す通訳者は本当に大変な仕事だと思います。誰に伝えるかによって、致命的な結果になることも十分にあります。通訳も伝える内容と相手の方の理解力があまりにもかけ離れたものだと大変だということです。日本人同士ならば、それが分かり次の方法を考えますが、通訳者の仕事にはそれは通用しません。通訳者がネイティブであっても、ネイティブが話す中国語が分からない患者さん、質問と全然違う答えを言う患者さん、しかし、ネイティブだから何とか苦労しながらやり取りができるのですが、これが日本人の通訳者だったら大変だと今も思います。冒頭でお話ししたように母語が同じであっても大変だからです。日本人同士だから問題にならないだけです。おそらく、これが母語でない人が対応したら、「通じない」「何を言っているか分からない」というクレームになっていると思います。分かりやすい例ならば、「ここは危ない場所だから、入ってはいけません」という注意を受けておきながら、その場所に入り事故をおこしたならば、日本人ならば自業自得になりますが、これが外国人ですと「きちんと言ったの?」「(あなたの話したことが)通じてなかったんじゃない?」という批判にさらされます。(実際、私も仕事でありました)

通訳は相手を選べないので本当に大変です。くせやなまりに聞きなれる練習ももちろん必要になります。そこまで時間をとっても練習しても、次に生かすことができるかはまた別です。(無駄にはなりませんが・・・) こういうことも考えますと、医療通訳の仕事から離れて仕事を一つに絞ってよかったなと思います。(通勤時間は同じですが、体の負担は全然違います。仕事をしながら、医学と薬学の勉強は私にはできませんでした)

中国人ネイティブでさえ聞いて分からない中国語を、いち日本人の私が聞き慣れるために敢えて時間を費やすことはないと思うようになったことも仕事を1つに絞った理由でもあります。母語の日本語でさえ、高齢者の言葉が聞き取れなかったり、分からなかったりすることがあるのですから。最近思うようになったのは、通訳も相手を誰に絞るかということも大切ではないかということです。母語でないのですから、的を絞らなければ、いつまでたっても中途半端で使いものにならなくなってしまいます。興味がない人に興味がないことを話したって永遠に理解してもらうことはできません。

周りを見渡せば、日中を話せる人はたくさんいます。ならば、私の中国語から情報を取ろうと、熱心に聞いてくれる人を対象とする仕事をした方がいいのではないかという考えに変わってきました。もちろん、語学力は研鑽し続けることが大前提ですが・・・。

「言葉は手段」、これまでの幾度も聞き、私自身言葉の生かし方については常に考えてきましたが、登録販売者の仕事をするようになって、ようやく今までとは異なる私なりの中国語の使い道が見えてきたような気がします。