台湾女性はキャリアウーマン派or専業主婦派?
私も親しくなった日本人駐在員の奥さんからも見て、当時の台湾女性はキャリアウーマンそのものでした。子供がいるのにフルタイムで働いているバリバリのキャリアウーマン。まだその当時、日本は今とは違い、結婚するまで子供が生まれるま...
私も親しくなった日本人駐在員の奥さんからも見て、当時の台湾女性はキャリアウーマンそのものでした。子供がいるのにフルタイムで働いているバリバリのキャリアウーマン。まだその当時、日本は今とは違い、結婚するまで子供が生まれるま...
(当時の私から見て)台湾女性は”なんてパワフルなんだろう”と、仕事が終わってから語学教室に通い熱心に勉強をする姿が大変印象に残っています。なぜなら、家庭を持ちながらフルタイムで働き、さらに夜も教室へ通い勉強をするからです...
1980年代後半、台北市では国語(北京語)が公用語、家庭では台湾語というスタンスでした。(実際は台湾語も外で多く使われていました)日本植民地時代、台湾人は日本語教育を受けましたので、その時代に学校に通っていた世代は母語の...
1980年後半から1990年前半になりますが、台湾も”先進諸国に追いつけ追い越せ”で、子供の教育にも大変熱心でした。競争が激しく、学歴がそのまま仕事と収入につながるという現実も否定できないのは事実です。実際、日本も同じ道...
国が違えば、当然考え方も違います。 私が大学生になったのはバブル前ですが、出世には学歴が必要ということで、親が子に進学をさせていた時代かもしれません。家庭の事情で大学進学を断念して高校を選ぶ優秀な人もたくさんいました。当...
地方から台北へ進学した子は寮あるいは部屋を間借りしていました。 部屋を借りると言っても日本みたいなバス、トイレ付きという賃貸ではなく、一部屋を間借りする形で、シャワー、トイレは共同でした。部屋は4畳半ぐらい、家賃は当時の...
私の受けた学科の試験科目は中国語だけでした。指定された中国語のテキストがありましたので、そのテキストを勉強しました。(中国語を学ぶためのテキスト) 試験が無事に終わり、合格発表日に学校に行くと、何と後日発表するとの事。こ...
台湾だけに限りませんが、学校選びで私が気付かなかったことを書き留めますので、台湾に限らず留学を希望している人の参考になればと思います。 (経済格差、世代格差、時代背景が現在と違いますので、この点はご了承ください) ①気候...
記憶は薄れていますが・・・。高校を卒業し4月から中国語を学び始め、翌年9月に現地の大学に入学。だから、同級生より約1年半遅れています。 台湾ならだれもが憧れるのが台湾大学。東大より難しい大学。日本人は台湾大学に進学する人...
1987年から92年までの台湾の当時の様子をご紹介します。15年ほど前に行ったきりですが、その当時でさえ、私が生活していた面影はほとんど残っていなかったので、おそらく現在は完全に別国になっていると思います。 ・スーパーは...
私が高校生だった頃は(地方でしたので)女子は大卒よりも短大、高卒の方が人気企業に就職できました。下手に進学するよりも上位の高校を卒業して就職した方が就職には困りませんでした。就職のことを考えて、敢えてトップクラスの高校に...
「国際化社会」という言葉を今は死語であると思いますが、私が高校生の頃に使われ始められた言葉です。といいつつ、この時代に備えて語学が必要だと感じていた人はそれほど多くはいなかったと思います。 当時の台北はすでに国際都市と言...