当時の台湾
技能実習制度において、中国人研修生の生活指導をするにあたり、一番役立ったのは台湾での一人暮らしでした。 一人暮らしというのは結局は何もかも自分でやらなければなりません。つまり、家を探す、交渉をする、修理の依頼・・・。すべ...
技能実習制度において、中国人研修生の生活指導をするにあたり、一番役立ったのは台湾での一人暮らしでした。 一人暮らしというのは結局は何もかも自分でやらなければなりません。つまり、家を探す、交渉をする、修理の依頼・・・。すべ...
裕福な方と食卓を共にしたことがあります。 やはり、そこで感じたことは人を大切にするということです。話題、食事の勧め方等、一つ一つが勉強になります。同席している子供も分からないながら、話すことを耳にしているので、その積み重...
富裕層の生活は質素です。お付き合いで必要な箇所にはお金を使っていますが、基本的に質素でモノを大切に使っています。モノも質の良いものを買い、手入れ修理して大切に使います。 語学に関しては、おそらく勉強をさせるのではなく、自...
台湾で比較的いろいろな層の人と接することができました。 その中で感じたことは国に関係なく富裕層には教育方針とお金の使い方には共通点があるということです。 一概には言えませんが、富裕層でしかも外国人と接して世界状況が分かっ...
台湾で病院にかかるときにやはり気になったのは日本語が通じるかということでした。 それから技術、衛生面はどうだろうかと不安になります。偏見の一種でもありますが、日本語ができる人が常駐しているということはすでに基準を満たして...
約3年前、私はある集まりに参加しました。 それは台湾少年工だった人の集まりでした。戦後70年を経た少年工はすでに80歳を超えたおじいちゃんで、このような集まりができるのもこれが最後だと言われた大会でした。声をかけてくれた...
1987年はまだネットはありません。連絡は電話、エアメールという時代でした。 台湾の生活にあたっての情報収集は駐在員向けの本のみでした。病院情報はそこから入手しました。 最初はもちろん日本語が通じる病院に行きます。日本語...
このお医者さん、私は生涯忘れることはありません。 つま先の狭いパンプスを履いたら、親指の爪が食い込み痛かったので医者に行きました。そのお医者さんはかがんで私の親指を見て、何かを始めました。 「痛い!」 親指を見ると血...
今でこそ、日本は外国人が増え、電車、各施設の説明は外国語でも案内がされています。 高校時代、「これからは国際化社会」と言われていました。頭の中では何となく感じることができても実際は現実味がないので、一部の人を除いてはそ...
台湾に行ってから思ったことは、日本人は目に見えない決められたレールの上を歩んでいる、いや歩まされているということです。そして、このレールから一旦外れると先が見えなくなってしまうのは事実です。 語学学校にはいろいろな国の...
昨日話した駐在員奥様の帰国後の話です。 子供さんの高校受験のため、子供さん二人を連れて帰国しました。その方と私の家は車で10分ほどです。私も一時帰国の際、連絡を取りお会いしました。 彼女から学んだことは実に様々です。今日...
台湾へ行ってから半年余りのことです。今思えば、早い段階でこの視点を知りえた私は恵まれていたと思います。このときから自然と語学+αは必須でした。 私は台湾滞在中、同世代の人との接点は全くなく、これは帰国後も大きな悩みの種で...