1990年半ばの中国人~歴史の影響を受けている世代
今回は中国人研修生(合弁会社)と接して感じたことを挙げてみました。(1995~1999?年) (現地とは中国の合弁会社所在地) ・当時の中国のおいての日本の立ち位置 ・彼女たちが受けた教育、境遇、進路、義務教育 ・進...
今回は中国人研修生(合弁会社)と接して感じたことを挙げてみました。(1995~1999?年) (現地とは中国の合弁会社所在地) ・当時の中国のおいての日本の立ち位置 ・彼女たちが受けた教育、境遇、進路、義務教育 ・進...
1987年3月下旬、台湾へ行きました。家の引き渡しまで、お世話になるご夫婦の家の一室をお借りして台湾での生活が始まりました。 さて、当時(1987~1992)の台湾での生活で、私にとって勉強になったことは大学の勉強より...
1987年 3月初め、両親と台湾へ行きました。 空港に着いたとき、独特のにおいがありました。現地の人はバス、タクシー、オートバイを使い移動し、オートバイは2、3人乗りは当たり前、そしてセブンイレブンは至る所にあり、活気に...
入社して間もなくして翻訳を頼まれました。日中取締役員会議の会議録だったような記憶があります。 頼まれた翻訳は無事やり終えることができました。しかし、これは暗黙のテストです。これが何を意味するのかはお分かりになると思いま...
通訳学校の授業が終了、1週間足らずで評価表が届きました。 日→中のテストは受けることができませんでしたが、日→中、中→日のそれぞれの評価表と先生のコメントをいただきました。自分が思っていた事と先生の指摘は一致していました...
台湾に行く前、父の同級生で若い時に海外青年協力隊に参加したことがある方にお会いしました。 その方が台湾に行く私に次の言葉を贈って下さいました。 「自分に残るものは生活したこと、 経験したこ...
第3期も半年間の研修です。独身の子もいれば、結婚したばかりの子もいます。また子供を置いて来ている子もいます。一人一人それぞれの思いを持って日本に来ていました。 前期には幼い子供を置いて日本に来た女性がいました。帰国してし...
1995年3月、某工場に入社しました。男性1人、女性2人のその工場の2期研修生がいました。半年間の研修です。当時は今とは違い、日本に研修に来るということは「選ばれた人」であり、大変名誉なことでありました。当時はまだ中国は...
昨日紹介した本の一冊に”地上の商人”があります。私はCDを買って聞いています。聞く度に言葉の深さを感じます。 何か思いがけない事に遭遇した時、先が全く見えない時、理不尽な事に出くわした時、いつまでこの状態が続くのだろうか...
頭で分かっていても、バタバタしている生活を送っていると大切な教訓も頭の隅に追い払われ、完全に忘れてしまいます。数年前に読んだ本が頭に浮かんびました。 ① 「盛運の気」 無能唱元著 日本経営合理化協会 1994/1 ②...
通訳学校で学期末の個人面談がありました。日本人の先生との面談は初めてです。 最初に授業の感想と来期の授業を受けるかを聞かれました。限られた時間内で必要事項を私に伝えるためです。私は来期は受講せず、発音矯正と文法強化に力を...
帰国後の悩み 台湾からの帰国後の一番の壁は何と言っても浦島太郎になっていたことでした。(一時帰国はしていました) さらに「日本語で自分が言いたいことが言えない」というウソみたいな現実にぶつかっていました。 日本の社会に...